「球ひろいだった少年の物語」最終話

これまで4回にわたってお送りしてきた

「球ひろいだった少年の物語」も今回で

最終話になります。

小学生の頃、プロ野球選手を夢見た太田少年は

最初は球ひろいをしていました。

投げ方が悪く直さなければならなかった

太田少年は大変な苦労をしました。

苦労を重ね、投げ方を直しましたが

コントロールまで直すことは出来ませんでした。

しかーし、

中学で試練を乗り越えた太田少年に

救世主が現れ、コントロールという武器を

手に入れます。

投げ方を直し、コントロールを手に入れた

太田少年は、チャンスをものにして

全国優勝投手になることができました。

その後太田少年はどうなっていくのでしょうか?

感動のフィナーレを是非お読みください。

まずはこれまでのお話のリンクを貼っておきます。

第1話から第4話まで見落としがある場合は

必ず読んでから先へとお進みください。

第4話でお伝えしたとおり、太田少年は

自分の身体の動きを知り、エネルギーの

伝わり方を覚えたおかげで

コントロールとスピードという武器を

手に入れました。

そして、持ち前の強気で全国優勝投手。

その全国優勝という看板をぶら下げて

今度は次の目標である甲子園出場を

目指し高校へ進学します。

太田少年も高校生になりました。

高校生になった太田は

中学で積み上げた経験を基にさらに

レベルアップするごとく、座学を

取り入れていきました。

先輩から経験値をわけてもらい

甲子園予選で対戦するであろうチームの

データ―を収集し、配球の勉強をしました。

自分が持っているコントロールとスピード

の武器を最大限に威力を発揮できる為に。

そして、甲子園予選を勝ち抜き、

見事決勝では優勝候補を1年生ながら

完封勝利して甲子園切符を手に入れたのです。

しかし、甲子園でのピッチングは

過酷なものでした。

はじめは意気揚々と甲子園へ乗り込んだものの

スタンドの観客のプレッシャー

相手強豪校(高知商)からのプレッシャー

自慢のコントロールは少しずつ削がれていき・・・

試合が終わってみれば

点差こそ3対5の2点差でしたが

内容は、四死球10、安打9という

24アウト中、19人もランナーを出して

しまうという、

毎回、パンチを浴びせられて

何とか踏ん張って立っている

ボクサーの様でした。

太田が甲子園から戻っての1年半は

まったく鳴かず飛ばずで・・・

高校最後の夏の大会で何とか巻き返しを

との思いで臨んではいましたが

決勝で自らの精神状態をコントロール

出来ずに0対6での完封負けを喫しました。

この時太田は決断します。

「プロ野球選手になるのはまだ早い

社会人野球で一から経験を積み直さないと」と

そして、高校卒業後、海を渡り北海道の地へ

社会人野球の扉をたたいたのです。

太田は社会人野球でも高卒1年目では

初となる都市対抗補強選手として

当時の後楽園で大会に臨みます。

3年目には社会人野球を辞めて

プロテストの受験をします。

落選でしたが・・・

しかし、プロの選手から学んだ経験は

後々太田の野球人生に生かされることに。

プロテストを受けたあと

太田に待っていたのは「地獄」。

丸4年社会人野球界からの抹殺。

太田は社会人チームを辞めるときに

他のチームへ移籍の承諾を取り付けて

いなかったのです。

これが原因で社会人野球への登録が出来ず

オファーを頂いていた全ての球団が

採用見送りという結果に。

これには地獄に落ちたくらい

途方に暮れました。

来る日も来る日も後悔しか浮かばず

いつしか野球をあきらめました。

野球というものを生活の中から排除し

視界から野球を消し去りました。

しかしそこに一筋の光が

4年後縁あって野球界に戻ることに

太田は就活してた企業から野球部に

入ることを勧められたんです。

ここで2回目の奇跡がおきたんです。

なんと!全国優勝

まさかの人生2度目の全国優勝投手。

チームは軟式野球だったのですが

その軟式チームに入部してわずか

3年目の出来事です。

そのチームは強豪チームでもなんでもなく

地元の高校を卒業した選手がメインでした。

それでも太田が加入したことで覚醒

したんですね。

チーム内で練習メニューの話し合いや

ピッチャーはバッテリーで集まって

ミーティングする機会を増やし

コミュニケーションが図られました。

それにより、お互いが何を考えているのか

理解が深まり、試合中のプレーにおいても

ミスが極端に減りました。

結果、国体初出場初優勝を獲得できたのです。

2年後チームは硬式チームへ移行します。

太田、30歳の年でした。

「プロ野球選手になる」その夢はまだ

くすぶっていました。

もしかしたら

もしかしたら最年長指名があっても

おかしくない?

そんな思いを抱いて太田は社会人野球に

取組みます。

硬式チーム移行して2年目の秋

「自分のチームで全国大会に行きたい」

その思いが叶いました。

北海道予選、これを勝てば決まる試合

太田は自分を社会人野球界から抹殺した

元所属チームに

延長16回237球を投げ抜き完投勝利

2対1で硬式野球移行後初めての

全国大会出場を決めたのです。

この時太田は32歳。

バカだと思われるかもしれませんが

まだプロ野球選手への夢は

諦めていませんでした。

「全国大会で活躍すればわずかでも

可能性はある」とおもっていました。

太田はそれから46歳になるまで

現役を続けた。

太田は小学生の頃球ひろいをしていて

投げ方を直さないと使わないと言われた

あの時から

社会人野球を46歳で辞めるまで

色々な経験をしてきました。

自らが下手くそで投げ方を直さないと

野球が出来ないような状態から

全国優勝を成し遂げ、

高校では甲子園を経験するものの、

精神面での物足りなさを痛感し、

社会人では、大人の社会の理不尽さも

経験する一方、

エリートではなく普通の高卒の選手が

集まったチームでも知恵を出し合えば

全国優勝出来るんだという

経験もしました。

そして、なにより

下手くそでも努力をすれば夢はかなうんだ

と、経験がおしえてくれたのです。

今ではその経験を子供達へ、またパパママへ

教え伝えさせて頂いています。

最終話 いかがでしたでしょうか?

僕は今までお伝えしてきた

これまでの経験を生かし、

子供たちの明るい未来に役立てようと

自らが経験して改良に改良を重ねた

“EMOトレーニング”を

取り入れたトレーニングバイブルを

作成するに至りました。

僕が社会人野球を経験した中で

このトレーニング方法を実践し

結果も出してきている方法です。

また、リトルリーグでのコーチに

おいても、優秀な結果を出しています。

何はともあれ

「太田政直本人が証人」です。

いよいよ明日の20時に公開しますので

是非手にしてみてください。

楽しみにしていてくださいね。


otama108@gmail.com